年の始めにあたって、こんな事を考えました。
東日本大震災の後、あれだけ大変な思いをし、身近な家族友人を失った人々が、食料や水の不足に悩まされながらも、取り乱すことなく、暴動を起こす事もなく、秩序を保っている光景を見て、世界中から賞賛の言葉が寄せられました。かってハリケーンに襲われた都市で見られた混乱などが人々の記憶に残っていただけに一層新鮮な驚きであったのだろうと思います。日本人の面目躍如と云った所です。
一方、相も変わらず、国の財政は支出が収入の2倍以上もあり、改善される気配もありません。ちょっと目を離していると、公務員住宅の建設が再開されそうになり、行政改革も進まず、誰が総理になっても、マスコミを始めとして一斉に足を引張り始める、国際会議の都度総理の顔が変わっている、と言うのもいまや定番になってしまったような感じです。
極めて礼儀正しく、秩序を重んずる面と、長期的な見通しも見識も感じられない面は、ともに私たち日本人の真の姿であり、かつ一体である事に問題の根が深い事を感じざるを得ません。
このようなわれわれは、グローバリゼーションの中でこれからの社会をどう運営していけばいいのでしょうか。
これまでわれわれは、明治の欧風化時代から、最近の新自由主義に至るまで、”あちら”のスタイルへ懸命に追随して今日に至っていますが、無理をして他文化の鋳型に嵌め込む必要はないと思います。長所・短所、さまざまな側面を抱えながらも自分たちの特性を活かし、一つの個性的な文化類型としてこれまでのスタイルを大切にしながら地球社会の一員として生きていくのが良いのではないかと思っています。つまり基本的に”多文化共生”が今後の方向だろうと思います。
それにしても余りにも効率の悪い国家運営をしているように思えてなりません。日本人が、私自身を含めて、極めて”計画性”に乏しい人達である事は日頃いやという程意識させられています。目標指向型ではなく、状況指向型の社会のような気がします。元を糺せば自然に従って生きて来た農業社会の名残りなのかもしれません。
地理的な拡大を望めない島国の自然の枠組みの中で生きて来た我々にとって、社会の枠組みも与えられたものと受け止め、枠組みを超える目標を設定し、その達成を目指すと云うのは、現実的ではなかったのでしょう。
しかしながら、人口減少、少子高齢化など厳しい前途を考えると、贅肉を削ぎ落として、効率の良い社会システムを構築する事は必要ですし、そのためには計画的でなければならないだろうと思います。
(2012.1.12) |